「平等」(一般的には、差別することなく、
同じように扱うこと)とは何か。この疑問に丁寧に答えようとする場合、差し当たり憲法が「平等」をどのように位置付けているかが、一つの参考になろう。そこで、いくつか参照すべき憲法学者の発言を紹介する。「法の下の『平等』とは、各人の性別、能力、年齢、財産、職業、または人と人との特別な関係などの種々の事実的・実質的差異を前提として、法の与える特権の面でも法の課する義務の面でも、同一の事情と条件の下では均等に取り扱うことを意味することである。『平等』とは絶対的・機械的平等ではなく、相対的平等だと言われるのは、その趣旨である。したがって、恣意的な差別は許されないが、法上取扱いに差異が設けられる事項(たとえば税、刑罰)と事実的・実質的な差異(たとえば貧富の差、犯人の性格)との関係が、社会通念からみて合理的であるかぎり、その差別的取扱いは平等違反ではないとされる」(芦部信喜『憲法〔新版〕』)「人権の中核的価値である個人の尊厳は、当然に、諸個人の平等を要請する。この自明のことがらをあえて想起する必要があるのは、日本国憲法の掲げる平等が『みんな同じ』の強制を意味するのではなく、諸個人ひとりひとりのアイデンティティの発揮を可能にするものだということを、明確にするためである」(樋口陽一『憲法〔改訂版〕』)「自由と平等とは、もともと互いに相反するものである。…平等の実現には権力が不可欠である以上、一部の者に対する平等権の保障が、他の者に対する自由権の制限となり、自由権の平等な保障と矛盾することになる。日本国憲法14条1項は、飽くまでも、法律的に不合理な差別を設けないという自然法の消極的な原則を定めるもので…社会生活に実質的な無差別を実現する積極的な権利を保障する規定と解すべきではない」「(同条項は)平等の原則を定めるものであるが、これによって、国家の恣意的な差別を禁止しようとするものである。民主制は、国民が国家意思を形成するに際して各人が平等であることを基本原理とする。…これと矛盾する自由は認められない。…天皇制…は、もともと統合機能を持つ象徴につき、国民の統合の象徴に相応しい制度として日本国憲法によって認められた平等規定の例外である。弱者救済の思想に立脚する日本国憲法25条以下の社会権的法制の保障もまた、特殊な人々に配慮した平等規定の例外である」「平等については、平均的正義と配分的正義の両面からの考慮を必要とする。たとえば、(日本国民たる)アイヌ民族を不合理に差別してはならないが、基本的人権以外のことにつき、国家構成員としての同質性を欠く外国人一般に対する規制は、必ずしも違憲ではない…。たとえば、参政権を運命共同体の共通の担い手としての性格を欠く外国人に認めないとしても、違憲ではない如くである」(青山武憲『〔新訂〕憲法』)「形式的平等とは、人の現実のさまざまな差異を一切捨象して原則的に一律平等に取り扱うこと、すなわち基本的に機会均等を意味し、それに対して実質的平等は、人の現実の差異に着目してその格差是正を行うこと、すなわち配分ないし結果の均等を意味する。…日本国憲法にはこれら両方の要請が含まれていると解される。しかし憲法14条の規定はなによりも近代的意味の平等原則、すなわち形式的平等を保障したものと解するのが妥当である。結果の不平等を完全に解消することは、少なくとも自由の理念と両立しないが…近代立憲主義の延長線にある日本国憲法は自由の理念と調和する平等の理念に基づいていると考えられるからである。その意味で実質的平等の要求は相対的限度内のものである」「『法の下の平等』は、形式的平等という意味において、等しい法的取扱いを要求するものであるが、それは裏返していうと不合理な差別を認めないということである。人には現実にはさまざまな事実上の差異があるから、それらを無視してまったく機械的に均一に扱うことは、かえって不合理であったり、非現実的であったりして、平等原則の命ずるところとは解されない。事実上の差異に着目するとき、平等原則は、等しいものは等しく、等しくないものは等しくなく扱うべきだという相対的平等の意味に理解されなければならない」(野中俊彦ほか『憲法Ⅰ〔第4版〕』)「法は、一定の要件に一定の法的効果を結びつけるものであるから、あらゆる法は、広い意味では差別をしていることになる。判例は、憲法14条の平等要請を、『国民に対して絶対的平等を保障したものではなく』、『事柄の性質に即応した合理的な根拠に基づくものでない限り、差別的な取扱いをすることを禁止する趣旨』として理解している…。したがって、問題は、法の定める取扱いが合理的な根拠に基づく差別か、それとも不合理な差別かとなる」
(長谷部恭男新法学ライブラリ 憲法〔第5版〕』)―